4月16日 自然

昨日は、愚僧の新しいスタートでありました。

詳しくは述べませんが、穏やかなひと時を過ごさせて頂きました。

自分勝手な愚僧ゆえ、大勢の方のお世話に寄ってです(笑)

いつも平素から、人や物事とのご縁の不思議さを思うのですが、

昨日は尚更、その思いを強くしました。

 

さて今日未明、熊本地方に再び大きな地震が起こりました。

愚僧も2時頃から、熊本にいるメンバーとラインを続け、

無事を確認しました。

 

ちょっと仮眠して、5時過ぎから再度無事を確認。

 

朝の一座にてメンバーの無事を感謝し、

被害に遭われた皆さんの無事息災をご祈念させて頂きました。

 

自然の脅威は凄いものですね。

阪神淡路、東日本の両震災や、度々の各地の洪水被害。

我々には、それに立ち向かい、勝利するのは不可能なのでしょう。

 

「自然」

天地万物が、意図も意識も無く、あるがままの姿や行動を見せる事。

 

意図も意識も無い。

 

そこには善悪も好悪も、信仰の有無も無いのです。

その自然に添う事を、「自然法爾・じねんほうに」と言います。

 

自分を含め、誰の責任を問うで無く、誰を責めるでも無く、

いにしえの方々は、「自然」の安穏息災を一途に願われたのです。

 

人間は、哲学や宗教や倫理等々があり、

その自然に生きる事に、長い年月をかけて秩序を整えて来ました。

意図も意識も無い生活をせぬ様にです。

 

その事に慣れた我々には、

意図も意識も無い「自然」は、

時には温かい優しさに見え、時には冷徹な冷たいものに見える。

でも、「自然」は「自然」なのです。

 

 

どうか、責める相手を探さ無いで下さい。

どうか、誰も責めないで下さい。

どうか、自分を責めないで下さい。

「自然」の事なのです。

 

そして一度は、冷徹に見えた「自然」は、

大きな傷を残したまま、

「自然」に温かく優しい「自然」に戻って行くのです。

我々もまた同じだろうと思います。

 

浅学無知の愚僧は、その様に言い聞かせ、

神仏に早期の安穏、無事息災を祈念するばかりなのです。