2012年5月19日(土)
五月晴れと言っても好いお天気でしたね。
朝20分ほどの自転車走行も爽やかで、♪♪♪な気分でした。
勿論、一昨日昨日と続けたメンテナンスも効いたのか?久しぶりの好調さでした。
過日から、お父様の病気の事で依頼のあった方から、無事手術を終え、その後も良好とのメール。
誠に有り難い事です。
<加持祈祷に遠近無し>と言いますが、神仏とは、本当に有り難いものです。
ただ、この加持祈祷の功徳も、遠近無しとは言え、その結果?と言うのはマチマチです。
速やかに功験を示して頂ける事もあれば、「ん~」と、思わず考え込む事もあります。
1、その効験を示すに至らない場合。
2、その効験が転禍するのが判り、示して頂けない場合。
3、どうしても邪魔が入り示して頂けない場合。
が、あるように思います。
1の場合。
その昔、「二階建ての家が欲しい」と願った者が、土台や一階部分を建てるのに腹立て、
「何をしている!私は、二階が欲しい!」と言った愚かな考え。
(※願うその人自身の問題に気付かぬ場合)
2の場合。
腹を痛めた我が子の、「アイスクリームが欲しい!」と言う願いを、
その子が駄々を捏ねても、分け与えぬ親の愛情。
(※神仏の慈悲に気付かぬ場合)
3の場合。
何かしらの障害を受け、事が思うに運べぬ場合。
(※強い障りがある場合)
ってなところでしょうか?
法力の強い方なら、1、2、3の場合も、その力に頼んで効験を示される手立てをお持ちなのでしょうが、
愚僧の様な者に、そんな力も無く、
また、愚僧の修験の師匠の言われた、
「力で、その青竹を曲げたら、その力が弱った時の撓りを誰が受けるのか?」
その言葉の意味も考えてしまいます。
で、愚僧は、その人自身の信心(真心)を促し、
(※信心をしなさい、拝みなさいなんて事ではありません。)
その障害を取り除いて頂ける様に、神仏の威光倍増を促し、
(※神仏の威光は、焼けた鉄心のように、触れるもの全てを忽ちに同化させると言います。)
そして愚僧自身はただ一念、
「速やかな所願成就」を神仏に願い、願った以上その効験は、神仏にお任せする事にし、
早々に御礼を申し上げる事にしています。
<領収書型加持祈祷>???でしょうか?
ともかく、良き知らせを受け、神仏に畏怖し、感謝するばかりの愚僧です。
明日は、法事あり、和歌山のお護摩修法あり、月参り三軒ありと・・・走ります(爆笑)